リナリア:2
そして翌日。
グランドラインにしては珍しい、何の不安も感じさせないような空模様の下、ゴーイングメリー号は順調に風を切っていく。
クルーそれぞれがそれぞれのやりたいことをし始めた昼下がり。
船首のすぐ近くでは狙撃手が釣りに勤しんでいるし、キッチンではコックが昼のおやつをせっせと作っているところだ。
どうやら例の果物が思いのほか安く手に入ったので、腕によりをかけると息巻いていた。
甘い香りに混じってコックの怒鳴り声が聞こえるのは、つまみ食いに来た船長と一戦交えているのだろう。
航海士は船尾の方で新聞を読んでいた。
そして剣士は甲板にて、冗談のような重りをつけたバーベルでトレーニングに汗を流す。
なんともまったりとしたそんな午後。
「……5315……5316……」
振り下ろしたバーベルの回数を数える。
喉を走る息使いが少し荒い。
いつもより早い回数で数えていないと、すぐさま脳の端にに昨日のことが走るのだ。
正直、今日のトレーニングはまったく集中していないと言ってもいい。
煩悩はさっさと振り払ってしまいたいというのに。
なのに、次の瞬間には、視界の端にあの麦わら帽子の赤いリボンを捉えていた。
コックとの格闘に負けた船長が、キッチンから甲板に来たのだろう。
この眼はなんとあっさり船長を見つけてしまうのだろうか。
麦わら帽子の下は、頬を膨らませて不機嫌な顔だ。
そりゃ、キッチンでコックに適うわけはないだろうと、思わず唇の端で笑った。
そして甲板に出てゾロに気付いたルフィは、サンダルを履いた足を無造作にこちらに向ける。
「なーゾロー」
規則正しいリズムで振り下ろされる重りを、おぉー、と視線で追いながら、ルフィはゾロを呼んだ。
「離れてろ、危ないぞ」
ゾロはできるだけ、強めに言ったつもりだった。
精一杯の強がりと言ってもいい。
今、こんな風に呼ばれたら、多分、まともに目が見れない。
そう思う。
「なぁゾロ、」
それでもルフィはそんなことはまったく気にも留めていないといわんばかりで続ける。
そして。
「ちゅうしようか」
ぶーん。
綺麗な弧を描いてゾロの腕から離れたバーベルは、船首に居るウソップの真後ろに落ちた。
というか、墜落した。
盛大な破壊音と共に、ウソップの悲鳴が聞こえてくる。
が、それをどこか遠くで受け止めながら、ゾロは左右の顔の筋肉が歪むのを感じていた。
…なんだって?
聞き間違いか?
しかし、船長は至ってまじめな顔でこっちを見つめている。
「……い、いやいやいやいやいや」
思いっきり頭を振ってみる。
今こいつ、なんて言った?
「いきなりなんだ!!?」
「だってゾロ、こないだおれにしたじゃんか」
起きてやがったのかこいつ!!!!
…と、自らの罪を認める言葉をさすがに口にすることはできなかったが。
そこにウソップが死にそうな顔で走ってきた。
「ゾローーー!!!てめぇ!殺す気か!!」
酷い形相だったが、なにやら揉めているゾロとルフィを見て、ウソップも一瞬戸惑って言葉を止める。
そこに、爆弾がひとつ投下された。
「だーかーらー、ちゅうしようって言ったんだ」
「お前頼むからちょっと黙れっ」
とんでもないことを口走った船長の口を大き目の手で強引に塞ぎ、その身体をあっさり担いで、
「わりぃウソップ、侘びは今度」
ゾロは掻っ攫うようにルフィを連れて、船内に逃げ込むはめになった。
とりあえず、邪魔が入らなくて、人気がなくて、落ち着いて話ができるところ。
目に留まったのは、バスルームだった。
鍵もかかるし、今日は風呂は使わない日だから、ある程度の時間は大丈夫だろう。
ドアを閉めて、鍵を落とす。
そしてひとつ、呼吸を整え、肩に担いでいた船長をタイル張りの床に降ろした。
「…で、なんだって?」
「だから、ちゅ……」
「だから、なんでそうなるんだ!?」
「こないだお前がしたから」
「……起きてやがったのか」
とうとう自ら告げてしまう。
まるで罪が暴かれたような気分だ。
いや、そのままなのだが。
「起きてたってか、あれで起きた」
「…お前何も言わなかったじゃねぇか」
「だって、おれもしたかったんだよ」
瞬間、バスルームのタイルに沈黙が落ちる。
跳ね返って、ゾロの頭を殴った。
「おれも、ゾロとちゅうしたかったんだよ」
あっさりととんでもないことを言ってくれる。
「おれだってゾロのことすきだぞ?」
そのすき、が、どういう意味を持っているのか、こいつはわかっているのか。
「…お前、わかって言ってんのか?」
「わかってるよ」
見つめてくる目はひどく真摯だ。
「おれはちゅうはゾロとしかしたくねぇ」
眩暈がした。
あの台詞は、本当だったってのか。
いや、本当というのは語弊がある。
同じ意味を持っていたってことなのか。
「ゾロはおれとしたくねぇのか?」
あの大きな黒い目でする上目遣い。
この、天然凶器が!
「そういうわけじゃねぇ……が」
「じゃあしよう、今しよう、すぐしよう」
「…なんでお前そんなにやる気なんだよ」
「したいから」
直球過ぎるが、的確な言葉ではある。
そうだった、こいつはあの船長だった。
欲しいものは全て自分で手に入れる。
その視線だけで。その言葉だけで。
それに絆されたのは他ならぬ自分だ。
その大きな目に引き寄せられるように。
ぐ、っと身体を近づけて。
時間にしては、とても短いはずのその時間が、ひどくゆっくりに感じるのは、それだけこの船長に心酔しているからであって。
簡単に言ってしまえば、惚れた者の負け、ということなのだろうが。
…それでも勝負に負けたというのは、気に入らない表現である。
そんな良くわからない逡巡がゾロの頭の端を駆け巡った後。
唇が触れるか触れないかの瞬間。
「ゾローーーー!!!!」
ナミの大声が響いた。
「あんたねぇ!あれほどバーベルの扱いには気をつけてって言ったじゃない!またこんなにメリー号壊して!!どこにいるの!?」
ヒールの足音が近づいてくる。
「………」
「………」
ルフィの大きな目と真正面からぶつかる。
そして、数秒の沈黙の後。
二人して、大笑いした。
「あーあ、邪魔されちまったな」
「…邪魔、っつうか…なぁ」
なんともばつの悪い思いがゾロの背中を走った。
「じゃ、続きは夜しような」
ルフィの腕がゾロの首に回り、ちゅ、と軽く音を立てて唇が触れる。
「言ったからなー」
そして、してやったり顔の船長は足取り軽くバスルームを出て行った。
「あら、ルフィ、何してるの?」
外に出たところでナミに会ったのだろう。高らかな声が聞こえた。
「ん?ちゅーだ」
「じゃ、上手く行ったのね」
「おう」
「で、ゾロは中?」
「あぁ」
「あんた、そんなところに連れ込んだの?」
「しししししし」
「うまくいったなら良いけど、誰もいないところでしなさいよ」
「おうっ、だいじょ〜ぶだ」
その一瞬後、バスルームのドアを開けたナミの怒声を聞いた。
ゾロの背筋に嫌な汗が伝う。
「ちょっとゾロ、あんたもそんなところにいないで、ちゃんとバーベル片付けて、ウソップ手伝いなさい」
「…待て、ちょっと待て。今、俺が聞いちゃいけない会話してなかったか?」
「何が?あぁ、ルフィのこと?だって相談されてたから」
「…相談?」
「そうよ、ルフィはあなたが好きだって。それで色々と」
「……」
「あんたがルフィのこと好きだってのも、見れば判るし?なによ、後はことが進むだけじゃない」
仁王立ちで攻め立てるナミはそこでぐっと声音を下げた。
「言っとくけど、これひとつ貸しよ」
ぐうの音も出ない。
「それと、うまくいったからって人の目は気にしてよね」
そういってナミはバスルームから颯爽と去っていった。
一人取り残されたゾロは唖然と口をあけたまま、嵐のように去っていった事態を見送るだけだ。
「…ちょっと待て、さっきあいつなんて言った?」
続きは夜に。
ゾロの苦悩はまだまだ続きそうである。
end.
続きは夜に!
基本、うちの剣士は船長の忠犬なので、お許しが出るまではおいたはしません(笑)
しかし、一度お許しが出ると、一杯します。色々します。
どっちかというと、船長さんの方が基本やる気満々。
そんな、どっちが攻か受か判らないような関係が好きです。
あ、余談ですが、時系列としては、グランドライン突入直後くらいの感覚で書いてますので、まだ一味は5人設定です。
お粗末さまでした!
2010/06/13